音響兵器が気になったので、引き続き論文を探す。音楽と戦争というテーマではたくさん書かれているが、音楽が扇動に使われているというのは分かるとしても、ではなぜ音楽なのかということは問われないし、メディアが単に規模の問題としてしか議論されていないのは不満。その点では音楽ではなく音のレベルで扱い、音メディアを情動制御のテクノロジーとして議論していたSonic Warfareは、まああれこれ話が飛んではいたが面白かった。

Marty Cloonan and Bruce Johnson, "Killing me softly with his song", Popular Music, Vol.21/1, 2002, pp.27-29.
Popular Music誌に掲載された論文。筆者たちは、これまでのポピュラー音楽研究はポピュラー音楽を正当化するために、アイデンティティの自己形成のような解放的なemanvipative側面を強調してきたが、そうすることで消費者主義の空虚な称賛に堕してしまい、同時にポピュラー音楽の政治的に抑圧的な側面をほとんど無視してきたとまとめながら、こうした状況を再考するためにポピュラー音楽を領土の確保や他者の排除の手段として考察することを試みている。具体的には、

先行研究のおかげでポピュラー音楽を研究するための土壌ができたのは確かだが、金太郎飴のようにどこを切っても同じ論理で自己実現を言祝ぐ議論は、そろそろ縮小再生産の限界に来ている。アイデンティティの形成に対して、その破壊というのはちょっと単純な気がするが、とっかかりにはなりそうな論文だった。

How to Wreck a Nice Beach: The Vocoder from World War II to Hip-Hop, The Machine Speaks

How to Wreck a Nice Beach: The Vocoder from World War II to Hip-Hop, The Machine Speaks

まったく関係ないが、面白そうだったので大戦中のヴォコーダーの出自とその後のポピュラー音楽への転用をまとめた本を読んでみる。もとになったのはベル研究所のHomer Dudleyが開発したVoderだが、ベル研究所は軍部とつながりがあったらしく、最近読んでいる文献では名前をよく目にする(Voderは電線の数を減らすという経済的な理由のために1930年代に開発されたが、後に音声をコード化して通信傍受を妨害する装置に転用された)。Vocoderとは関係ないが、第二次大戦中にはキャタピラや工事の音をステレオ再生することで敵の耳をあざむき、誰もいないところに部隊がいると勘違いさせるための部隊(Ghost Army)の設立にもかかわっていたようだ。エディソン周辺の資料(アコースティック録音関係のもの)は集めてきたが、1920年代以降の電気的な音メディアについて考えるにはベル研究所は無視できないし、両者の発展と衰退の背後(通信とオーディオ再生のシステムを統括したことがエディソンとベルの違いだろう)に軍事産業がかかわっていたこともおさえておく必要がありそうだ。レコード史や音楽産業史においてはベル研究所は控えめに取り上げられることが多いが、音楽を中心としないならば電話、ラジオ、オーディオ機器など複数のメディアの関係を考えるうえで面白い場所なのかもしれない。

■音響兵器の両義性
上記のCloonanとJohnsonあるいはSteve Goodmanは(音楽を含む)音の過剰さによって不快を引き起こす、麻痺させるといったメディアの作用を取り上げているが、同じように音によって快を引き起こす、麻痺させるということにも音が使われていることにはあまり触れていない。両者が同じ基盤のうえで作動することを考えておかないと、音響兵器もただの「誤った」使用法ということになってしまいかねないのでこちらも文献を読んでみる。

Elevator Music: A Surreal History of Muzak, Easy-Listening, and Other Moodsong

Elevator Music: A Surreal History of Muzak, Easy-Listening, and Other Moodsong

Music as Medicine: The History of Music Therapy Since Antiquity

Music as Medicine: The History of Music Therapy Since Antiquity

上のElevator Musicはバックグラウンドミュージック研究の基本書で、軍事、労働、医学、映画など様々な領域を横断してバックグラウンドミュージックについて論じている。バックグラウンドミュージックはそれ自体は意識されないための音楽であるせいか、あまり研究の対象として取り上げられることもないが、聴かれてはいないが聞こえてはいて、何か前景になるものへの態度を変えるように働きかけている。
たとえば、1930年代には産業心理学という分野で労働効率をあげるために音楽が研究され、ミューザックにも応用されていたようだ。音楽そのものへの注意を逸らしつつ、手元への集中を持続させるために音楽は使われていたようだ。図書館に一次資料があったので、借りておく。これは疲労や倦怠と注意の関係についての心理学的な研究だが、医療では音の生理学的な作用を利用して外科の麻酔に応用していたようだ。これは1920年代の雑誌Talking Machine Worldでいくつか記事を見つけたが、文献もないか探してみる。