サウンド・スタディーズ

■つくえ
隣の家族が真夜中に引っ越していき、棚やらなんやらを捨てていったので拾っておく。わりといい机と椅子も手に入ったのでようやく段ボール机から解放された。最近は真ん中がへこんできてまともに使えず、腰にもダメージがでていたので救われた。この気持ちは届かないだろうけど感謝。

■Sound Studies
最近は音響兵器としての音楽(音)とか、その別の側面であるミューザックについて文献を集めていたが、あまり際立った組み立ての論文も見つからないし、どうしても音楽研究の枠を出ないのがつまらないので、別の枠組みを用意するためにJonathan SterneのThe Audible Pastを読みなおすことにした。ちなみにスターンはウェブサイトで論文をアップしており、アナログ・メディアの続編となるmp3論文(新著となる予定)も公開している。ずいぶん待っているのだけど、mp3: The Meaning of a Formatと編著Sound Studies Readerは2012年に出版されるようだ。

The Audible Past(2003)は、音メディアにかんする近年の著作のなかでは最も重要なもののひとつだろう。しかし、聴取の歴史としてメディア史を考える彼の視点は、こと音楽研究では特異だったせいか、それとも彼が音楽にはまったくと言っていいほど触れていないせいなのか、今のところあまり紹介されていない(メディア論やメディア・スタディーズでの動向は詳しく追っていないので、また調べてみなければならない)。そろそろきちんと紹介する作業もしないといけないと思うが、それ以前にスターンの言う「鼓膜的な器具」としての複製技術の有効性が気になっているので、ヘルムホルツ『音感覚論』とJohn Durham Peters"Helmholtz, Edison, and Sound History"をあわせて読んでいた。気になったのはスターンがクレーリーを参照し、生理学における感覚の主観性(刺激と感覚の恣意的で流動的な関係性)にも触れながら、それでも複製技術を「鼓膜的な器具」という生理学以前の解剖学および音響学の領域に還元し、また「聴取の技法」も音響学的な観点から記述していることだ。そうしたのはおそらくスターンが電話もフォノグラフもラジオも包括的に複製技術として扱うことで、聴取の問題が個々の技術的な文脈に還元されてしまうことを避けたかったからだろう。それは分かるのだが、それでもやはり電気メディアが非常に早い段階から神経系のアナロジーによって説明されていたこと(逆もまたしかり)、実験心理学が電気的増幅やダイナミックレンジの前提となっていたことを考えれば、「鼓膜的な器具」では限定的すぎるし、同様に「聴取の技法」も考えなおさなければならない。引き続きヘルムホルツ関連を読みすすめつつ、アメリカでの心理学受容についても調べてみる。