前回の補完。ドーンは映画における声の位置(もっとも特権化された映画の音)は精神分析的な意味での「幻想的身体の統一性」を基礎付けるものとして議論されていたことは先日紹介したが、論文の後半部では声がもつ象徴界的な要素にも注意を向けていた。たと…
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