引き続き声文献

前回の補完。ドーンは映画における声の位置(もっとも特権化された映画の音)は精神分析的な意味での「幻想的身体の統一性」を基礎付けるものとして議論されていたことは先日紹介したが、論文の後半部では声がもつ象徴界的な要素にも注意を向けていた。たとえば、ドキュメンタリー映画のヴォイスオーバーやオフの声は物語の語り手と幻想的な身体の錯覚的な統一性を崩してしまうものでもあるのだ。しかし、ドーンはこうしたヴォイスオーバーの声には「聞くことの快楽」があり、映像以前、言語以前にうち立てられる想像界的な「幻想的身体」の支えともなると指摘している。つまり、声は想像界=呼びかける母の声、象徴界=禁止する父の声という二重の側面を持っているのである。こうした二重性から、ドーンはドキュメンタリーにおける観客は映像と想像的に同一化するかわりに、オフにおいて註釈する権威的な声と想像的に同一化すると考え、声を他者性と統一性の両義的な存在として議論している。このことから、ドーンは「声の政治学」において、声と身体(映像)との関係を単純な二項対立(たとえば声=女性性、映像=男性性など)ではなく、多層的な関係として考察することに注意をうながして議論を終えている。やはり最終的にはジェンダーの問題が焦点になるが、想像的なものと象徴界的なものの「インターフェース」として声を分析するところは興味深かった。ドーンはKaja Silvermanの"The Acoustic Mirror"を引いていなかったが、立場が違うのだろうか。気になるところ。いちおう取り寄せてみる。

The Acoustic Mirror: The Female Voice in Psychoanalysis and Cinema (Theories of Representation and Difference)

The Acoustic Mirror: The Female Voice in Psychoanalysis and Cinema (Theories of Representation and Difference)

ドーンが基礎においている論考もかりてみる。

精神分析における象徴界 (1980年) (叢書・ウニベルシタス)

精神分析における象徴界 (1980年) (叢書・ウニベルシタス)

◆声のメディア論
メディア理論の側から声(と文字言語)について扱ったもの。

Medien / Stimmen

Medien / Stimmen

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