2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

みっくみく 2

明日から銀山で合宿。銀ではなく古文書を掘り出す魅惑のツアー。■声のトポグラフィ 声の身体についてメモ続き。「声のきめ」という声の物質性、意味作用に還元されない歌う身体の悦楽は、物理的な因果関係という意味での物質性に還元できるのだろうか。声と…

研究会のお知らせ

来週の日曜日3月8日午後2時より、視聴覚文化研究会/芸術学研究会の研究発表会を開催いたします。今回のテーマは「カント感性論の現在形」です。これまでの研究発表会では、メディア(メディア間)あるいは視覚文化・聴覚文化・視聴覚文化のように諸感覚…

みっくみく

時間が経ってしまったので先の日記の続きをうまく書けなくなってしまった。1960年代に出てきたミューザック方式の疲労曲線BGMとかヒーリング音楽と、サイケデリック・カルチャーやレゲエのドラッグ的な音楽の表裏の関係がうまく考えられるかと思ったりしたの…

病理としての音楽聴取

■メモ 映画研究の人にヒステリーと映画の関係について話を聞いているうちにハンスリックが『音楽美学』で議論していた音楽の病理についてふと思い浮かんだ。 ハンスリックは「美的聴取」と対立させて、精神的な契機を欠き、音楽と感情が直接的に連動してしま…

■幽霊の声 声の主体性の裏声としておいおい心霊も重要になるし、おそらく自動人形も関わってくる。文献をチェックしておく。だいぶ前に読もうとしてまだ読んでなかったものHaunted Media: Electronic Presence from Telegraphy to Television (Console-Ing P…

精神分析と声

■音響的鏡 The Acoustic Mirror第一章"Lost Objects and mistaken Subjects: A Prologue"を読む。精神分析的な映画理論からフェミニズム映画批評への導入部となっている。議論の基礎として、シルバーマンは古典的な映画は映像がこうむる対象の不在や欠如に対…

やっぱりデリダ『声と現象』『グラマトロジーについて』も読まないといけない。以前に読んだときの記憶がほとんどない・・・。ドラーがラカン、デリダ、形而上学における声の位置について比較しながら議論しているので参考にしつつ。ドラーは現前の自明性を…