2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

集中講義

■集中講義 聴覚文化から視覚文化まで幅広く、エキサイティングな集中講義だった。最終日の今日はブレイクビーツからターンテーブリズム、ブリコラージュと衣装を経て、風景へ。ボブ・ロスは描き手の自由を尊重していたことが分かった。用があってあまり聞け…

週末から今日へ

土曜日は科研へ。横浜写真とメドゥーサ論についての発表だった。横浜写真については自分の問題意識と重なる部分が多く、質問も自分のことのように緊張し、答えをシミュレーションするのだった。やはり問題は内と外、横浜写真で言えば横浜と西洋の文明の関係…

民謡見つけ隊

風邪をひいた。鼻水が緑色で、くしゃみをしたら飛んだ。僕の友人は緑色の便が出て、行ってもいないのに東南アジアの風土病かと疑われたという。人体の不思議。探していた本がようやく届く。服部龍太郎『日本民謡の発見』(理論社、1958) 売り文句は「埋もれ…

宇宙に飛ぶことのできないテクノたちとヴィオラ

■テクノ夜話 コンピューターおばあちゃんを聞いて懐かしむ。レトロフューチャーとまで行くことすらかなわぬアニメーション。ふるさと的な懐かしみのおばあちゃんと最新鋭のパソコンは合体し、宇宙へと飛び立つ。まるで宇宙戦艦ヤマトか老人Zのような、壮大…

■思いつき 発表を聞いていて急に思ったこと。民謡に対峙した柳田と旅行者に共通する欲望は「リアルなものを見たい」というもの。前者の場合のリアルは労働の中で<今まさに歌われている声>にある。しかし後者のリアルは<かつて聞いた民謡が歌っていた風景…

どうするべえ

久しぶりに寝た。びっくりするぐらい気持ちよい。学校のソファよ、しばしさよなら。論集に向けて、何を書こうか悩む(今月末まで!)。民謡の受容者=旅行者の議論をもう少し展開して、目的を絞って書こうかと考える。昨日、先生が授業で話されていたヴァナ…

演歌

論文要旨を作ったものの、今度は研究計画書を書かないといけない。過去と未来の間でタコ殴りにされる。安来節研究をやっていて一番困ったのが、送り手と受け手をどこまで分けて考えるか。文化人類学で「文化の客体化」(太田好信)を論じるときには、たいて…

立体を聴く

修論提出。軽率な言葉についてはすみませんでした。公の場に向けて文章を書く身として、深く反省します。 論文を読み直し、要旨を作る。それとは別に 先生にお借りする。坂本龍一のエッセイ「ステレオグラムと音楽のグルーヴ」。ステレオグラム的な聴取体験…

さかもっさん

ステレオ音楽関連で先生に教えていただく。坂本龍一が「ステレオグラムと音楽のグルーヴ」という文章を書いているとのこと。読んでないが勝手に想像してみる。読んでみて予想がずれてくればいい。さて僕が勝手に想像したミニマル音楽はスティーヴ・ライヒの…

ステレオ

ステレオ写真に関連してというか、あまり関係はないのだけど、ステレオ録音はいつ頃生まれたものなのだろう。安来節のレコードはまったくのモノラル、音は厚みがなくペラペラに聞こえるし、歌声と楽器の音が重なってしまい、非常に猥雑に聞こえる。なぜスピ…

アナリーゼ

音楽分析をしこしこやる。アナリーゼとは音楽学の人が分析という時に使う言葉だが、なぜドイツ語なんだといつも不思議に思う。それはおいといて。中山明慶「安来節考」という曖昧な名前の論文が安来節の音楽分析をやっているので、それを参考にしつつという…

日本レコード文化史 (岩波現代文庫)作者: 倉田喜弘出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2006/10/17メディア: 文庫 クリック: 8回この商品を含むブログ (12件) を見る初版は1979年。日本のレコードメディアを考える際には必読の書だと思うが、手に入らなかった…

民謡の70年代

坪井秀人さんの論文「近代民謡論」を読み返す。この論文は基本的にナショナリズムにおける民謡の位置づけを分かりやすく追っている。そこで気になったのが1970年代の民謡の位置づけだった。1972年の田中角栄の『日本列島改造論』に代表されるように、地方が…

70年代

論文締め切りまで10日を切る。先行研究をまとめ、自分の立ち位置を示す。のに苦労。

浅草と安来節

細馬宏通さんが安来節三人娘について書いていたとは気付きませんでした。十二階論もう読み直してみます。提出も近づき、自分で何を書いているのか分からなくなってきて、手当たり次第に資料を探す。江戸川乱歩が浅草の安来節について書いた「浅草趣味」とい…

視聴覚文化研究会

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今年の目標はとりあえず論文提出ですが、ラディカルかつ精緻に議論を展開できるように、あと横のつながりを作っていけるようにがんばりたいと思います。写真は野口雨情です。『七つの子…