旅って何だ

Culture on Tour: Ethnographies of Travel

Culture on Tour: Ethnographies of Travel

The Tourist: A New Theory of the Leisure Class

The Tourist: A New Theory of the Leisure Class

幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)

幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)

Culture on Tour、買ったものの手をつけていなかったので序文を訳す。いわゆる観光人類学という研究分野の論文集で、ダニエル・ブーアスティンやディーン・マッキャネルの論を受け、その反省を理論的基軸にフィールドワークを行っている。以下はこの論文集を読み始めるまでに確認した観光表象論についての確認。

ブーアスティンは能動的な旅travelに対して観光tourismを怠惰な消費形態と見る。彼によれば、ツーリストはメディアによって流通する場所のイメージを後追いという形で体験しているに過ぎない。そこにはマスメディア以前の「真正な」体験は存在しないという。

それに対して、マッキャネルによれば、実際のツーリストは「真正な」体験を求めているのだという。彼らはガイドブックなどによって表象された文化の裏側、マッキャネルが用いる演劇のメタファーに従うなら「舞台裏back stage」に「真正な」文化を求め、覗き見ようとするのである。ただし、マッキャネル自身、舞台裏と表舞台という対立は明確に分別することはできないと指摘している。それらは見方によっていつ裏返るか分からないからである。

ブーアスティンの問題は「真正性」という概念を軸に旅travelする知的エリートと現代の怠惰な消費者(ツーリスト)という単純な図式を作ってしまった点だ。誰もがどこへでも行きうる時代においては、旅と観光の境界は不分明なものと言わざるをえない。マッキャネルが批判するように、確かにブーアスティンはマスメディア批判という目的のためにツーリストの分析を単純化してしまっている。ツーリストの意識はそれほど単純じゃないぜというのがマッキャネルの立脚する論点だと言える。

こうやって観光表象論を読んではいるが、僕自身はあまり観光は好きではない。というのも、旅をするとなるとガイドブックを読んだり、インターネットで調べたりするけれど、いざ旅に行くとガイドブックのまんま、あるいはガイドブックで期待していたものよりも関心をひかなかったりするからだ。そう考えると、マッキャネルが観光を肯定的に見ようとする論点も理解できる。ガイドブックには乗っていない側面を見出したいという欲望は僕にも確かにあるからだ。そして、マッキャネルは書いていないが、この時、ブーアスティンが論じるような旅travelに対する欲望が奇妙な形で回帰するのではないか。この前の研究発表では「旅」と「観光」についてつっこまれたので、少し注意して整理していきたい。