メモ

観光人類学の続きはおいといて。
森山大道の写真集に<<遠野物語>>(朝日ソノラマ、1976)というのがあるらしい。森山のカバー文によると

僕のように現実に帰るという意味での「ふるさと」などどこにもなく、ただ恋を恋するが如くイメージで「ふるさと」を追っかけている者にとって、「ふるさと」とはきっと、幼時からの無数の記憶のさまざまな断片をつなぎ合わせてふくらませた、あるユートピアというか、原景なんじゃないかって自分で思うわけです。そんな「ふるさと」像の具現の場所として、僕にはやはり遠野へのこだわりが抜きさしならずあったというほかないんです。

「ふるさと」論で語られるのと同様に、森山は「ふるさと」を一種のユートピア(どこにもない場所)として見ている。と同時に、森山はそうした匿名の場所としての「ふるさと」を「遠野」という特定の土地に見出し、写真イメージとして定着させた。また、このタイトルは明らかに柳田國男の同名の著書を意識したものだろう。<<遠野物語>>というこの写真集において、「遠野」がいかに表象されているのか、非常に気になるところだが、書店では入手不可、「日本の古本屋」では34000円だった。1970年代は柳田民俗学復興後にあたるし、柳田と『遠野物語』関連の文献と絡めて分析してみたい。