浅草と安来節

細馬宏通さんが安来節三人娘について書いていたとは気付きませんでした。十二階論もう読み直してみます。

提出も近づき、自分で何を書いているのか分からなくなってきて、手当たり次第に資料を探す。江戸川乱歩が浅草の安来節について書いた「浅草趣味」というエッセイがあるようだ(『新青年』所収)。乱歩によれば安来節の魅力とは次のようなものだった。

「僕達の通り言葉なんだが、あれの持つネジレ趣味である。ネジレというのはどこかの方言で、いやみと訳せばやや当る。いやみたっぷりなものを見ると、こう身体がネジレて来る。そのネジレを名詞に使ったのだ。我々は一応ネジレなるものを厭に思う。だがそのネジレさ加減があるレベルを越すと、今度はそれが言うに言われぬ魅力になる。」

安来節の魅力とは「ネジレ」にある。「ネジレ」については原文をよく読まないと分からないが、ともかく安来節は突き抜けた「ネジレ」を持っていたようだ。それは「変態」や「悪趣味」に通じるような異質さを持っていて、見る者の身体をもネジレさせてしまう。さらに、この「ネジレ」は見る者と見られる者との間に共鳴を生み出す。

「和製ジャズと言われている通り、小屋全体が一つの楽器であるが如き、圧倒的な、野蛮極まる、およそデリケートの正反対であるところの、あの不協和音楽の魅力である。これは浅草公園のある小屋に限られている現象で、まして他地方の安来節にはほとんど見られないところだが、舞台の唱歌がだんだん高潮に達して来ると、小屋全体に一種の共鳴現象が起こるのだ。最初は半畳とか弥次とかいうものだったにちがいない。それが徐々に形をなして、音楽的になって、いつの間にか今日の舞台と見物席の交響楽が出来上がったのであろう。それを第三者として傍観していると、数時間にして、さしもの音楽好きも、すっかり堪能させられるのである。」

いいところですが、よく分からなくなってきたので、続きはまた書きます。

と書きましたが、混乱しそうなのでまた今度書きます。あげるだけあげといてすみません。