民謡の70年代

坪井秀人さんの論文「近代民謡論」を読み返す。この論文は基本的にナショナリズムにおける民謡の位置づけを分かりやすく追っている。そこで気になったのが1970年代の民謡の位置づけだった。1972年の田中角栄の『日本列島改造論』に代表されるように、地方が都市との差異の中で再発見されていくのが70年代。政治的な文脈だけでなく、「ディスカバー・ジャパン」やテレビ番組「遠くへ行きたい」など、地方観光への注目が高まっていった。その中で民謡や演歌といった歌はどのように受容されていたのだろうか。民謡に関しては、戦後50年代から60年代にかけての戦後ナショナリズムとの関連で語られることが多いが、70年代にどのような実践を展開していたのかが気になるところ。おそらく僕が研究している20年代の民謡表象はそのまま引き継がれてはいないだろう。時間ができたら70年代に関する文献をあさってみたい。

ただ安来節の舞台公演を見る限りでは、戦後にはほとんど変化が見られない。見ていてなんだかつらかったのは、彼らが表象する地方らしさと僕が知っている地方の現実とがあまりにも食い違っているからだろうか。山城新吾が公演の司会をしていたのは、もっとつらかった。