イマジュリィの前と後

ようやく原稿が整った(のではないかと思った)。頭の中では喉の奥から頭頂部へと捻り出す『ギリギリチョップ』が鳴り響く。このチョップは水平なのか、空手なのか、脳天唐竹割なのか。藁はやっぱり編み込んでも藁だったので、燃やしました。

しかし『元祖・玉乗曲藝大一座』は資料のきっかけとしては非常に面白かった。しばらくしたら、浅草に行きたい。

■イマジュリィのその後
チョップは脳天唐竹割なみの垂直チョップで、第二章と第三章の間を切り裂いていた。発表後、風邪をひいて、バイトをして、膝を痛める。

イマジュリィ学会で発表させていただきました。機会を与えてくださったid:morohiro_s先生、本当にありがとうございました。

上演をメインに据えるように論をまとめが、やはり旅行と上演の繋がりがまだ弱い。繋がっていたのか、あるいはまったく異なる層に受容されていたのかという点を、もっとはっきりさせる必要を感じた。しばらくは上演について調べるつもりだったが、前からの課題を引き継ぎつつ、考えてみたい。質疑応答でのつっこみ等々を合わせて反省点をまとめると・・・

1.旅行者数のデータはないものか。旅館の数など具体的な数字があれば、安来節観光がもっと想像しやすく
  なる。
2.寄席・見世物・花柳界の相違をもっとキメ細かに。曖昧すぎる。
3.「ネヂレ」はもっと膨らませる余地がある。「でろり」との関係性(?これはまだ謎)

主にこんなところだったかと思う。しかし、やっとはっきりしてきたが、安来節はまったくもってふるさと的なものではなかっただろうということ。堆積を散らしつつ、身体を再編成するようなものとして受容されていたようだ。それが何に起因していたのか、音なのか、踊りなのか、それともそれらを含めた上演場所の雰囲気全体なのかを押さえること。まずは文献と資料集めか・・・。自分も浅草と安来を往復しつつ、資料を集めよう。足を使えと長さんは言う。

■田辺尚雄
『現代人の生活と音樂』(1924)
『家庭で味ふべきレコード名曲解説』(1925)
『蓄音機とレコードの撰び方・聴き方』(1931)

音楽研究者・音響学者、田辺尚雄の著作を調べる。ちょうど録音がマイク録音に変わった頃の著作。レコード聴取における現代との距離をはかること。
レコード史の具体的な研究はアメリカの方がやはり進んでいる。並行して読むこと。

Recorded Music in American Life: The Phonograph and Popular Memory, 1890-1945

Recorded Music in American Life: The Phonograph and Popular Memory, 1890-1945

ビクター犬の如く、愛する者の声に文字通り触れるもの、あるいは採集としてのフォノグラフから、再生のみのSPに移行して後の記憶の在処を書いたものはないのだろうかと期待しつつ、買ったもの。企業が音楽あるいは声を録音する技術を独占したとき、抵抗はなかったのかすごく気になる。

■風俗という言葉と地方の温泉に反応し、飛んで来る人が多い。「おつゆ日記」という名前のせいなのか・・・。「おつゆ」とは「水も滴る良いエコー」を期待していたのだけれど・・・。