オムレツになろう

■視聴覚文化研究会・オムレツ大会
日時:2007年6月23日(土)午後1時〜5時(あるいはエンドレス)
場所:西宮市民会館アミティホール四階小会議室A・アクセスマップ阪神西宮駅・市役所前口を出れば、目の前にあります)
※会場は12:50開場です。

以前の「視覚文化研究ってどないやねん」という問いを受け、今回の視聴覚文化研究では雑誌『オクトーバー』で1996年に組まれた特集「視覚文化研究についてのアンケート」をもとに議論を行うことにしました。参照する論者は未決定ですが、2〜3人の報告者がそれぞれの論者の議論をまとめて報告し、それをもとにディスカッションを行います。司会を行うのは神戸大学博士課程の唄邦弘さんの予定です。参加は自由となっております。今回は視覚文化研究をテーマにしていますが、もちろん異なる分野からの参加も歓迎です。視聴覚文化研究会はつっこみがぬるいとの意見もありましたので、熱い議論を行いたいと思います。問い合わせは私、神戸大学の秋吉康晴(akiyasuharu123@hotmai.com)までよろしくお願い致します。

著作権シンポに行った
京都国立近代美術館で開かれた「藝術は誰のものか」に行ってきました。様々な方向から、「著作権」についての発表(18世紀、アフリカ、動画配信)がなされる。映像の話は別として、議論の多くは現在の著作権をめぐる動向を時間的、あるいは地域的な外部から見ようとする動きであったように思えた。議論は興味深いものだったが、議論の結果として出てきた意見は「法的な著作権意識の外部にあるもの」としての「作者意識の希薄さ」あるいは「作品未満の作品=作られたもの」であり、名和さんも含めて結局は議論が「法的著作権」と「美学的な著作権」とは一致せず、また別々の領域に属していると確認することで終わってしまったように思う。今回のシンポのそもそもの目的は、著作権意識が議論によって分断されてしまう状況を再考するためのものだったのではなかったのだろうか。

 音楽関係だったので、塚田さんの「ディープ・フォレスト」発表についての感想を。塚田さんの発表の趣旨をまとめると「著作権という制度がなく、また作者という意識がない人々がいる。彼らは知らないうちに文化的に搾取され、産業的に運用され、経済的にも搾取されている。どのようにすれば彼らに代価を支払うことができるのか。」という問いだったと思う。
 問題は搾取が抱える倫理的な問題にあるのではなく、「所有権」にあるのではないだろうか。所有の意識を持たない「第三世界」に対して搾取を問題にすること自体が抱える問題を考えなければならないし、所有の意識があるとすれば所有するのは誰かということを考えなければならない。非西洋の側に立っているようでいて、「こちら」の論理を自明視してしまうことは誤っている。
 塚田さんがそうだとは言うわけではないが、ポストコロニアリズム以後の議論の中には、その「搾取」構造を批判する目的のもとで、自分があたかも搾取されている側に属し、彼らの立場にたって主張しているようなものが目立つ気がする。僕らはもちろん「第三世界」の住人ではないし、彼らにはなれない。「彼ら」と「私たち」をつなぐための議論は「彼ら」になりすますのではなく、あくまで「私たち」を問題にすることでなされなければならないように思う。