柳田のアクチュアリティ

東京の聴覚文化研究会で発表させていただくことになった。修論を読み直し、柳田を読み直す。佐藤健二柳田国男の風景論について書いているが、柳田は明治・大正期の諸感覚の再編成を的確に捉えていたように思う。『明治・大正史 世相篇』と『豆の葉と太陽』をざっと確認し、風景に関する論考を探す。

「風景はもと今日の食物と同じように、色や形の後に味というものを持っていたのみか、さらにこれに供うていろいろの香と音響の、忘れがたいものを具えていたのである。それを一枚の平たく静かなるものにする技芸が起こって、まずその中から飛び動くものが消え去った。それでも昔の画には法則のように、必ず画中の人があり、もしくは花鳥という配合の約束のごときものがあったのだが、後にはそれさえも無用のように認められることになった。
 個々の感覚を他と切り離して、別々に働かせることは修養のいることであった。俗人には恐らく無声の詩を想像することが難かった。そのためにわれわれの環境に対する喜悦満足は、名も何もない空漠たる一つの気持ちとなり、それがこのごろのように幾つかの欠けたものを生じて、初めてあれは何だったと尋ねなければならぬようになったのである。」(「風光推移」、『明治・大正史 世相篇』)

柳田によれば、諸感覚を独立して働かせるには、ある種の「修養」が必要だったという。例えば風景において、聴覚・嗅覚・味覚を排除し、視覚へと限定していくその「修養」を要請したものとは何であり(西洋の言説を導入する過程で行われた概念的な整理によってなのか、それとも言説以前の技術的・物理的条件によってなのか、その両方なのか)、またその「修養」がどのように行われたのかということを考えていく必要がある。こうした問題は風景だけでなく、文字と声(そしておそらく音楽も)の問題にも連なっていく。