伏し目と喧嘩
Martin Jay, Downast Eyes
Downcast Eyes: The Denigration of Vision in Twentieth-Century French Thought (Centennial Book)
- 作者: Martin Jay
- 出版社/メーカー: Univ of California Pr
- 発売日: 1994/09/01
- メディア: ペーパーバック
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まったく関係ないが、最近読み直した柳田の文章にも「伏し目」のことが書かれていた。村の共同体において、相手の目を見ることは反抗的な動作であり、喧嘩につながるため、みな「伏し目」がちに歩いていた。それに対して、大正期の東京では人々の「目つき」が変わったことを指摘している。柳田によれば、大正期になり東京出身者の人口が半数を下回ると、路上の視線コミュニケーションは徐々に変わり、むしろすれ違う人がどのような人なのかじっと見つめる視線が増加したという。柳田だけでなく、「目つき」が怖くなった論というのは結構あったようだ(たしか柳田はハリウッド帰りの日本人俳優の言葉をひいていた)。路上の視線については、武田信明さんが『つくられた自然』で書いてたし、佐藤さんも反風景としての採集実践として書いてらした。読み直すこと。