音の連続と離散

ラカン

負のラカン―精神分析と能記の存在論

負のラカン―精神分析と能記の存在論

バイトで山陽電鉄に乗りつつ読む。良い入門書だったが、分かりやすいのが逆に不安だった。と思っていたが、いざ反芻してみると理解できていなかった。

山陽はいつ乗っても乗客が少ないが、いつ乗っても鉄道マニアがいる。

□文献
そろそろゼミ発表が近いことを思い出す。キットラー編集のDiskursanalysenシリーズ1巻Medienに掲載されたヴォルフガング・シェーラー「鍵盤、視話法、速記術−19世紀における諸感覚の技術的変容」を読み始める。この前の発表でその言説的断絶をうまく説明できなかった箇所を埋めるためのもの。音響的なデータの記録と離散化が1930年代から1960年代までの複数の技法・技術をもとに論じられている。今読んでいる前半部分は鍵盤に当てられており、弦楽器モデルの音楽的文法から鍵盤モデルの離散的・普遍的記憶への移行、聞こえから書記への移行がまとめられている。まだどこかで聞いたような話。

Discourse Networks, 1800/1900

Discourse Networks, 1800/1900

「書き取りシステム」の英訳版があった。