映画史

ゴダール『映画史』
文学部の大学院プロジェクトの一環でゴダールの『映画史』上映会をやる。プロジェクターの熱が上がりすぎて投影がとまるというトラブルがおきたが、どうにか最後まで上映できた。ただでさえ映像のスローモーションや停止や沈黙が多い映画なので、作品そのものが黒い画面なのか、プロジェクターが止まっているのか、10秒くらい誰も反応できないのだった。

音のことで何か聞かれるだろうと思っていたので、メアリー・アン・ドーンの声論文を読んでおいたが、あまりうまいこと話せなかった。ドーン論文では登場人物の身体的・物語的な統一性の支えとして声が機能し、観客が同一化すべき主体を呼び出す効果をもつということを軸に、声の快楽と声の権威性が議論されていた。前回『映画史』を見たときにゴダールの語りを聞きながら、なんとなくNHK番組のナレーション(柳生博とか)を思い出したので、ゴダールの語りがもつ効果を考えてみたかった。

『映画史』について語ろうとすると、どうしても歴史=物語(映画)に対して複数の歴史、ハリウッド的モンタージュのずらし、反物語といった言葉しかでてこないので、物語ではないものの物語性をゴダールの語りからつむげないかと考えたりした。しかし、ディスカッションを聞いていて思ったが、これもまたゴダールという個人的な作家をめぐる議論にすぎず、ハリウッド・システムとは異なるゴダール・システムとして議論した方がゴダールの言説にはまりこまず『映画史』を議論できるような気はした。『映画史』について書く気はしないが、ドーンの声論文はおもいのほか面白かったので、語りについては引き続き考えてみよう。