病理としての音楽聴取

■メモ
映画研究の人にヒステリーと映画の関係について話を聞いているうちにハンスリックが『音楽美学』で議論していた音楽の病理についてふと思い浮かんだ。

 ハンスリックは「美的聴取」と対立させて、精神的な契機を欠き、音楽と感情が直接的に連動してしまうような聴取を「パトローギッシュな聴取(病理的な聴取)」と呼んだ。ハンスリックは音楽作品の内容をそれが表現する感情に置く従来の感情美学を批判するために、それが前提とする聴取態度を病理・異常さへと接近させ、他方で自らが提示する「美的な聴取」を芸術・正常さの方へと位置づけたのである。重要なのは、ハンスリックはこれらの聴取を音楽的対象の性格の結果としてではなく、あくまで聴取の側から態度として議論したということである。ある音楽作品が美的対象になるか病的対象になるかは、聴取者の態度にかかっている。
 だいぶ割愛したが、もちろんハンスリックにとって同時代のほとんどの聴き手が「パトローギッシュな」態度をとっていたことは言うまでもない。感情美学は音楽が惹起する感情に耽溺し、そればかりか医学・生理学の研究は音楽作品の価値を神経刺激の快・不快のレベルにまでおとしめていたのである。この意味で、「美的な聴取」はつねに「パトローギッシュな聴取」と隣接し、物質的な身体の内部から脅かされている。