声のトポグラフィ(2)

論文を直しているうちに、いつの間にか春になっていた。桜も散っていた。とりあえず、ひと段落ついたので、次にとりかかることにする。声のきめの続き

だいぶ前に書いた精神分析的な議論では、声は身体に還元されず、内部に隠された欲望の対象を現前させるものとして議論されていた。対象としての声は物理的な身体に還元されないからこそ、演劇で他の人物を演じることや、腹話術や憑依のような不気味な現象を成立させるのである。このように考えると、声の帰属関係は単一なもの(声‐身体‐私という人格の一致)として捉えることはできなくなる。

このことを声一般の問題として考えると、えらく広がっていきそうなので、歌声で探してみたらいくつかの文献が見つかった(Edward T.Cone, The Composer's Voice、Simon Frith, Performing Rites川田順三『声』)。ConeとFrithの対比はオペラとポピュラー音楽の声―歌手―作品の関係を考える上で参考になりそうなので、簡単にまとめてみる。