聞こえない音楽

博論の予備審査が終わる。途中段階のものを聞いていただくのは気がひけたが、議論が断片化しがちなので、全体の構想を聞いてもらえたというのは非常に良い機会になった。制度としてどうかは別として、聞いていただいた方々には感謝しなければ。学会発表よりも緊張した。声の身体というもの、乱用されているバルトの「声のきめ」を考えておく必要があった。後で考えてみると、バルト自身は「声のきめ」を身体の物質性に還元しているわけではなく、むしろ、欲望の対象として、幻想の身体として議論していたことを思い出す。そんなことを以前に書いていたことも思い出す(腹話術が可能なのもこのためだ)。腹話術的なものとして、死者の声として、サウンドキットラーの言葉を借りればリアルなもの)としてのレコードの声が、なぜ特定の個人を担うかのように想定されてしまうのか、それこそ考えなければいけない問題だった。主張を押し切るバックボーンを早めに作るべきだ。


Embodied Voices: Representing Female Vocality in Western Culture (New Perspectives in Music History and Criticism)

Embodied Voices: Representing Female Vocality in Western Culture (New Perspectives in Music History and Criticism)

Barbara Engh"Adorno and the Sirens: Tele-phonographic Bodies"
アドルノの「針とカーヴ」で少しだけ言及されていた蓄音機と男女の声の関係を発展させ、ジェンダーの観点からアドルノの複製技術論を解釈している。最終的には、技術(道具的理性)と男性の声の同一化、技術との同一化に抗う女性の声を、『啓蒙の弁証法』のオルフェウス神話の解釈をもとに読み解こうというもの。

■聞こえない音楽
池田亮司関係の資料を集める。

テクノイズ・マテリアリズム

テクノイズ・マテリアリズム