グールドの幽霊

気づいたら1年以上書いてなかった。このままだと消えてしまうので、ひさびさに復活。先月からノースカロライナ大学の音楽学部に来ています。生徒の半数くらいが大学のTシャツやパーカーを着ていて、その愛校心ぶりがちょっと鼻につく。

先週土曜日はゼミ(テクノロジーと音楽)の一環で、zenph studioという録音スタジオの見学に(http://www.zenph.com/sept25.html)。スタジオの名前になっているzenphは、音楽解析のソフトウェアのことを指している。それを使って何をしているかというと、グレン・グールドのレコードから打鍵のタイミング、キー・タッチ、ペダルの踏み込みの深さをMIDIコード化し、ヤマハの自動ピアノでグレン・グールドの「生演奏」を再現しようとしているという――スタジオのスローガンは”turning audio recordings back into live"。グールドが弾いたとおりにピアノが動くのだから、我々が聞いているのはグールドがかつて行った演奏と同じだというのが、代表者の考えらしい。ライブなんて言葉は結局、録音が事後的に生み出した現前性の幻想に過ぎないだろうと勝手に思い込んでいたが、けっこう複雑だということがよく分かった。このおじさんにとっては、演奏の一回性はどうでもよくて、ともかくグールドが弾いたとおりのピアノの動きが再現できればそれがライブ演奏なのだろう。

そう考えると、ライブという言葉にこだわっているにせよ、彼はいわゆるライブ派(レコードなんて缶詰だぜ)ではなく、オーディオ・マニアに近いのかもしれない。レコードからいかに原音を再現するかという点では両者の求めるものは非常によく似ている(ただし、両者の間には、あくまでレコードで原音を再現するか、レコードから音源そのものを復元するかという方法の違いがあるが)。しかし、それ以上に彼のやっている演奏の復元(彼によればre-performance)は、オーディオ・マニアの幻想を打ち砕く不気味な現実感を持っていた。鍵盤はもちろん、ペダルも幽霊が踏んでいるみたいに勝手に動くし、感動を覚えるどころかだいぶ怖かった。しかし、おじさんはそれを分かっているのか、レコードと自動ピアノを同時に再生させて、ほらまったく同じ演奏でしょなどと言っている。レコードと自動ピアノが召喚するグールドは、想定される起源は一緒なのだろうが、スピーカーから聞こえてくるノイズ混じりのピアノと目の前のピアノがやっぱり時制がずれていて、結局、おじさんが何をよみがえらせようとしたのかをはぐらかしてしまっているような気がした。おじさんはニコニコしてたけど。

しかも、さらにややこしいのが、おじさんは自動ピアノの音を録音して売っている。さらにやっぱりレコードと自動ピアノと同期してみせて、ほら忠実な録音でしょなんて言っていた。おじさんはたぶん本当は原音なんてどうでもいいのだろうが、たぶんライブとか原音という言葉にこびりついたものがおじさんの欲望をややこしいものにしているのだろう。話上手で、とても面白いおじさんだったので、思わずCDを注文してしまった。