ライブ/録音

今日は授業にDJが忽然と現われて、スクラッチを実演してくれた。みんな興味深々で質問しまくっていた。ゼミもそうだけど、みんな考える前にとにかく喋る。がっちりした音楽学をやっている学生もいるし、メディア・スタディーズをやっている学生もいるけど、文脈の読みあいなんかしない。たとえば、リミックスについての議論では、音楽学の学生はリミックスとバルトークの引用は同じじゃないかと言い張って譲らなかったりするので、かならずバトルになる。すばやい応戦をしないと、そのままで通ってしまう。読んできた本をもとに、学生はとりあえずバトルして先生は適当にあいずちを打っている、そういうゼミ。持ってるものは何でも出す、相手の様子をうかがって後だしジャンケンを狙わない、こういう姿勢は見習うべきだと思う。

その中に割って入る語学力がぜんぜんないので、ただ聞いている側にいたが、日本の事情をしゃべってくれと言われる。それというのも自動ピアノの見学に関連して読んだChares Keil, "Live and Mediated in Japan"というエッセイ風の論文に日本のことが出てきたからだ。彼は1980年頃に日本に行ってだいぶショックを受けたらしい。というのも、彼はそれまでオーディオ再生機器はライブ演奏の劣った代用品に過ぎないと考えていたのに、日本ではいわゆるライブ演奏にそれらが使われていたからだ。盆踊りに行けば、レコードに合わせて太鼓を叩いているし、道端ではチンドンヤがラジカセを持ち歩き、カラオケではテープに合わせて歌っている。結構、当たり前のように思えるが彼にとってはショックで、人類学もオーディオ機器がフォークロアにどのように組み込まれているのかを考えなくてはならないと呼びかけている。1980年前後といえば、アメリカではもうディスコもヒップホップもあったし、何を言っているんだろうと思うが、日本はそれらを置いといて取り上げる価値があるほど人類学的に不純に見えたのだろうか。

ということで、僕に何が求められているのか分からないが、カイルが取り上げているものよりも不純に見える最近の例を紹介するべきなんだろうか。初音ミクのことはみんな知らないようなので、初音ミクのコンサートはぜひとも見せておきたいところ。ステージ上で3DCGの初音ミクが歌い踊り、人間が伴奏するコンサート。どんな反応がかえってくるか楽しみではある。うまく説明できるだろうか。