ウィーン

長く放っておいた『クラシック音楽政治学』(渡辺裕、増田聡ほか)を読む。渡辺裕の担当した「音楽の都ウィーン」の表象と観光人類学で渡辺が引いていたSara Cohenの議論が参考になった。ビートルズの出身地であるリバプールは近年、ビートルズを利用した観光表象をさかんに行っているのだという。我々はしばしば音楽家や音楽(テクスト)をそれらが生まれた場所(コンテクスト)によって性格づけ、また理解しようとする。民族音楽学などはまさにその典型だろう。しかし、リバプールなどの例において、テクストとコンテクストの関係は実際には転倒している。つまり、ビートルズリバプールを性格づけるコンテクストとして機能するという転換が起きている。このことは日本の民謡においても言えるのではないか。対象の言説を掘り返してみると「追分節は北海道という土地で聞いて始めて最も生き生きとする」といったものがよく見られる。つまり土地というコンテクストが与えられているのである。その一方で観光においては、追分節というコンテクストによってある空間が「名所」というテクストとして析出するとはいえないか。単純に同じ議論の枠組みにはめ込んでしまわないよう、よく考えながら分析してみたい。

クラシック音楽の政治学

クラシック音楽の政治学