ズートルビ

Sara Cohen, "Liverpool and the Beatles:Exploring Relations between Music and Place,Text and Context", Keeping score: Music, Disciplinarity, Culture,Charlottesville and London:University Press of Virginia, 1997,pp.90-106

場所と音楽に関係して行われる表象のあり方を明確にしたいと思い読んでみた。ビートルズと彼らの出身地リバプールに関する論文。この都市で行われるビートルズ表象の情報は省くとして、問題の場所と音楽の関係について読了後のまとめ。

サラ・コーエンによれば、音楽と場所の関係は多くの場合、テクストとコンテクストの関係に置かれる。つまり場所が音楽を生産し、そのため音楽は場所を反映している。ここでは場所から音楽を理解、解釈するという論の流れが当然のごとく生まれる。しかし、リバプールで行われるビートルズの観光表象において、こうした関係は再考されることになる。ビートルズの音楽ははリバプールによって生産されたテクストとして振る舞うと同時に、リバプールという都市のイメージを生産するコンテクストとしても振る舞うからである。例えば現在のペニー・レインは出歩く人も少なくなった通りだが、同名の歌によって、そこはビートルズが歩いたあの有名な通りへと変貌する。見方によって音楽と場所の図/地の関係は反転してしまう。コーエンは現在までの一方向的なテクスト解釈の方法ではなく、間テクスト的・間コンテクスト的な解釈を行う必要があると主張する。

民俗音楽の研究において、こうした問題はもっと深刻かもしれない。ポピュラーミュージックよりもずっと、民俗音楽は場所に依存したあり方で考察されてきた。様々な表象を通じて、テクストとコンテクストの関係は反転し、つまり音楽が場所を生産し、再び場所が音楽を再生産するといったように、複雑な力学を発生させているにもかかわらず。少し「民謡」について考えよう。この論文で明確になってきたが、「民謡」はこうしたテクスト/コンテクストの強固な関係を利用して人々を旅へと誘ったのではないか。例えば追分節に関する大正時代の文章を読んでいると、追分節は北海を背景にしてこそ生きるといったものが目立つ。このような前提をもとに、「民謡」の歌詞は新たに再構成され、ある場所を主題にした歌を作り、その場所を名所に仕立てあげようとする。このとき歌の編み込まれた空間はテクストとなり、ローカルな風景自体が欲望の対象として析出するのではないか。混乱してきた。続く。