うっそうと生える黒い植物

についての論文を明日の授業のために要約する。井村彰「対抗モニュメントとしての植物」。

ある内容を半永久的に伝えることを意図して作られるのがモニュメント。そのためそれらは石や金属などの屈強な素材で作られる。

モノとしての耐久性も危ういものであるが(落書き・爆破・劣化)、その内容もまた儚いものだと論者は述べる。モニュメントに託された当初の目的、例えば侵略の美化が平和の礼賛に変わってしまうこともある(筆者によれば宮崎の「平和の塔」)。モノとしての耐久性=内容の永続性を後ろ盾にしてはいるものの、その内実は移ろいやすく儚いものである。そうしたモニュメントへの批判から生まれるのが「対抗モニュメント」。内容の儚さを前提に、永続性よりはむしろ「未完のプロジェクト」としてその内容を市民に託すのが「対抗モニュメント」だと、論者は「とりあえず」定義していた。

モニュメントを「儚い」ものと捉える視点を初めて知ったし、植物園を「対抗モニュメント」として分析するという観点は面白いが、まず「対抗モニュメント」の用い方が曖昧なのは問題だった。アンチ・モニュメントとしてモニュメントの意味を投げ返す「対抗モニュメント」なのか、それとも伝統的なモニュメントへの反省によって新たに作り出される記憶媒体なのか、語の使用が混乱していた。とりあえず自分の論文では、「とりあえずの定義」はやめておこうと、心に誓った。頭が痒いので、風呂に入って寝よう。

ともかく、なぜ植物なのか、という問いには「それは植物だから、黒いと生々しくて気持ち悪かったりする。みんなで育てると楽しかったりする。だからモニュメントとは違うんです」という160キロの直球で返された論文だった。

安来節公演のDVDが6000円で発売開始されたらしい。高い。迷う。