再び車窓から

最近気になっている汽車の窓に関連して大正期の本を買う。その名も『汽車の窓から』(大正8年)。汽車を降りてからの案内記ではなく、汽車の窓から見た風景と「下車せらるべき都市名勝地」に関する案内記。

車窓から見える風景をじっと眺めるという体験は、現在生きる自分たちにはあまり魅力的なものには思われない(ように思う人は僕だけでしょうか)。比較的近い都市に移動する時はもちろん、遠くへ出かける時も外を見ることは少ないように思う。車窓から見たあらゆる街の風景がほとんど同じに見えてしまうことすらある。それでも時折、車窓から外を眺めては何か興奮を覚えるようなことがある。もしかしたら、この瞬間が重要なのではないかと思う。

『鉄道旅行の歴史』を読んでいると、車窓の風景に対する反応は寝る人と見る人に分けられる。寝る人は分節の少ない連続した眺めに飽きてしまう旅行者であり、見る人はこの眺めを刺激的な知覚体験として受容する旅行者である。ずっと考えていたのだが、見る人はずっと見ていたのだろうか。おそらく昔もそんなことはなく、車窓から見る眺めにも退屈なものとそうでないものがあったに違いない。パノラマ的な眺めに括るのは単純すぎるように思う。それを分ける基準が何だったのかを考えることも必要なのではないだろうか。いつまでも旅行ネタではまずいから来週中までに鉄道のところを終わらせてしまおう。

先生にお願いして、立命館に問い合わせていただいたところ、『三朝小唄』を研究室に寄贈してもらえるとのこと。とっても楽しみです。ありがとうございます。