小唄ってどういう意味だろう

■小唄映画
≪三朝小唄≫を見る。あらすじは次のようなもの。

「東京から来た若い画家、俊夫は三朝町一の美人お久と恋に落ちる。お久は義父のいじめに耐えながらも、俊夫と結婚し、東京に行くことを願う。しかし、やがて東京から見一という少年が来ると状況は変わり始める。俊夫には以前、婚約を破棄した女性がいたが、その女性は死の床にあって最後に俊夫に一目会いたいのだという。俊夫は思い悩む。同時にお久は数日後に遊郭に売られることが決まってしまう。お久は俊夫との駆け落ちを決意するが、俊夫と東京の女性の関係を知り、駆け落ちを断念する。遊郭に売られることは隠したまま、俊夫を東京へと見送るお久。純情なる乙女心・・・。」

 「三朝小唄」はあまり登場せず、時折、画面上に字幕となって登場する程度。弁士あるいは弁士の脇に控えている者が歌ったのだろうか。この小唄と人びとの関係はあまり明確ではない。その代わり、わざとらしいほど目立つのがジェンダーの演出だ。
 しばしば言及される地方女性と東京の女性の対比(純粋−見せかけ)、また地方男性と東京の男性の対比(粗野ー洗練)。そして自然(女性)と文化(男性)のロマン主義的な邂逅。恋は決して実らない。なぜなら、両者が求め合うのは仮構された差異を前提にしているからであり、お久が東京へと到った時、この仮構された状況は解消してしまうからだ。お久、悲惨・・・。

 ちなみにこの小唄、三朝町が1928年に野口雨情に作詞依頼したいわゆる「新民謡」。大正中期以降に盛んに作られる「新民謡」と「民謡」の関係も興味深いが、つっこみすぎたら大怪我しそうだ。
 
 研究室に置いておくので、ごらんになりたい方はどうぞ。

■ドラムマチーン
yamaha RX7が届く。安かったので、売れる前にと思って買ってしまった。音色はなかなかのものだが、打ち込み方がよく分からない。なぜステップシーケンスを可視化してくれないんだ。しばらくいじる暇なし。クローゼットに仕舞い込む。こうやって道具は忘れ去られる。