■保存会
保存会から手紙が届く。レコードのレーベルと大まかな出版年代を調べた表が入っていた。いろいろとグチグチ言ってすみませんでした。とメール土下座する。本当にありがとうございました。ビクターやコロンビアなど、大手どころから売り出されていたようだ。さっすが安来節

■汽車の窓から
これもまた届く。楽しみにしていたのだが、車窓の眺めの詳細な記述はなく、見える事物(山・川・建築物・海・岩)の名前を矢継ぎ早に挙げていくといったものだった。暇な汽車の旅もこれを読みながら、外を眺めれば楽しいでっせ的な本だということだが、果たして本を読みながら外を見るということは可能なのか。まあそれが可能かは別として、この本の目的は連続的な眺めを名前によって分節することにあったのかもしれない。移動しながら、ある事物に焦点を定め、後ろに通り過ぎるまで目で追う。遠くの山や川がゆっくりと動いていくのを見つめる人は、手前の事物がほとんど消え去ってしまうことに気付くだろう。この本を参考に旅した人は、パノラマ的な眩惑体験が幾度も立ち上がってくる様を楽しんだのだろうか。無理矢理な推論か・・・。

■安来小唄
『三朝小唄』関係の文献を読んでいると、1928年に帝国キネマというところで『安来小唄』という映画が制作されたことが分かる。だが記録だけでフィルムは残っていない模様。ガビーン。古いものを研究するとこのように悲しい思いをすることが多々あります。なんだか「安来節」の特殊性が薄れてきたような気がする今日この頃。さんざ拡散してしまったので、そろそろ収斂していかなければならない。