ともに歌うこと

安来節の合唱
なんとか民謡の歌についてのネタを探そうと、いろいろ読んでいたら『「はやり歌」の考古学』の「歌えない兵士たち」という短い文章に目がとまる。

兵士達は軍歌を歌えなかった。節回しやピッチが個人によってある程度自由だった記譜以前の音楽が習慣化されていた兵士たちは、同じ歌をともに歌うことができなかった。合唱が習慣化されるのは音楽教育が普及して以後のことである。

大正15年に書かれた安来節の大合唱は、それが節回しの自由、方言によるイントネーションの差異といった障害もなく、ともに歌われた。それは民謡がある程度、規格化され、共有されていたことを示している。合唱から、安来節の視覚的受容とは異なった要素を引き出すことができるかもしれない。距離をとって見ることと、ともに歌うこと、踊ることのズレをもう少し追ってみたい。

■新聞記事
1922年7月22日の『読売新聞』に次のような記事があるらしい。これはメモとして。
「東京はまるで民謡の都盆踊りの都で東京だか田舎だか訳がわからなくなりさうだ」