ステレオ三昧

今日は北白川へ。ステレオレコードを聴かせていただく。細馬先生、素敵な時間をどうもありがとうございました。

■音のステレオ
1960年代に出たVICTORの『LIVING STEREO VICTOR STEREO DEMONSTORATION RECORD』と『フランク永井 ステレオ・ハイライト』。前者は「ステレオへの招待」と題され、ステレオへと誘うナレーションまで入っていた。いろいろと話を伺いながら聞いていると、楽器編成、音量の調整による距離感覚(オーケストラをバックに歌うフランク)、リバーブによる空間の大きさの感覚が重要であることに気付く。音が遠近の層となって聞こえてくる。音域の高低も空間の上下の感覚を作りだす。目と耳の空間的ズレ。ステレオ録音については早めに取りかかろう。

安来節
安来節研究の動機はいつも考えておかなければいけないと思う。しどろもどろになりながら話すうちに、いろいろと思い出しつつ、安来節が様々な領域から逸脱しつつ、それを浸食するものであることに再び気付く。その奇妙なポジションの奇妙さをもっと前に出しつつ、その奇妙さの由縁を論じていかねばならない。

木曽節や八木節あるいは追分節は、皇族に歌われたり、うたごえ運動に利用されたりしたにもかかわらず、安来節はそうした運動からは常に逸脱してきた。浅草で行われていたという「マジック安来節」(安来節の歌の横で手品するというものらしい)や民謡レビューとしての安来節(赤い着物の重ねから素足を覗かせる踊り)は、もしかしたら「民謡らしさ」を持ちながらも、一般的な「民謡らしさ」から逸脱したまがい物的な要素を多分に含んでいたのではないのだろうか。という単なる予想を立てる。内の外としての民謡の外という別の議論ができる気がする。あくまで気がするだけ・・・。