爪先立ちで立つ死体の意味が分かった気がする

■70分待ったなし一本勝負
試験終了。語学・論文ともにつめの甘さを知る。
忘れないうちに反省点
1.先行研究の整理が単純化されてはいないか。カルチュラル・スタディーズ民俗学を対立させ、その間の議論を紹介し
ていない。柳田国男に関しても、もう少し読み込むこと。

2.音楽的な側面に関する分析が甘い。

3.日本の初期の録音メディアあるいはラジオと民謡の関係を明確にすること。録音メディアについて議論が立っていな
い。

4.絵葉書のイメージ分析が足りない。安来節のものと他地域のものの差異を明確にすること。

5.カルチュラル・スタディーズの民謡研究を批判しているが、僕の論文もそれと同様に民謡というジャンルにおける安来節の差異を明確にせず、どの民謡にもあてはまるような一般的な議論にしてしまっていること。

6.5と同様の問題として、メディアに関する議論が曖昧であること。民謡に関わるメディアを一連の繋がった運動において論じてしまい、メディア相互の関係性や摩擦が論じられていないこと。

7.身体性については問題外。

多くの問題点があり、これからの課題も非常に多いが、やるべきことが明確になったと思う。民謡というジャンルを他のジャンルと分け、それが様々なメディアとどのように関わっていたのか、またメディア相互はどのように関わっていたのか。安来節の身体性はそうした諸問題を解決した上で、民謡表象に摩擦を引き起こすものとしてはじめて論じることができる。都市の見世物的なカオスの中で再編成されていく身体性、安来節を論じる意味があるとすれば、まさにそこではないかと思う。録音メディアを中心に、同時に身体性についても押さえていこう。

身体について野村雅一さんの本を借りておく。

表象としての身体 (叢書・身体と文化)

表象としての身体 (叢書・身体と文化)

坪井秀人さんも木曽節と国民舞踊について論じていたはず。
感覚の近代―声・身体・表象

感覚の近代―声・身体・表象

安来節三人娘の一人が自伝的に書いたものがあるようだ。問い合わせてみる。


■ステレオ本
音のステレオ本。長真弓『やさしい ステレオの世界』が届く。ステレオ録音の仕組みとそれに筆者が求めるものが書かれている。筆者はオーディオと鉄道のマニア。機械をいじるのが好きな人。音ステレオも同時に進めていこう。
以前、ウォークマンを買うもバスの中でサン・ラを聞いて吐きそうになって以来、使っていないことを思い出した。あのメロディの上下変動とステレオと、バスのほのぐらい明かり、車窓の流れ、いろいろな要素が目眩を起こさせ、目的地に着く前にバスを降りた。