ポピュラーな音楽

■ポピュラー音楽をつくる

ポピュラー音楽をつくる―ミュージシャン・創造性・制度

ポピュラー音楽をつくる―ミュージシャン・創造性・制度

遅ればせながら読む。経済原理の反映としてのポピュラー音楽というマルクス主義的な議論と、わりと楽観的に主体形成の話に落とし込んでしまう文化研究的な議論を橋渡ししつつ、あまり論じられることのないポピュラー音楽の創造性について論じるというのが本書の目的のようである。特に第三章「テクノロジー」はポピュラー音楽の制作としてはあまり目立たない編集の役割や、楽器の問題を論じており、いくつかの重要な視点を与えてくれた。以下は思いついたまま

マルチトラック録音によってそれぞれのパートの音を切り離すこと、時間と空間(主に奥行き)を操作するエフェクト、ステレオによって水平に音を散らすこと。こうした録音編集は、演奏された環境を再現するのではなく、演奏されたであろう環境を捏造することに関わっている。そもそも「ライブ」を志向するクラシックのステレオ録音だって、複数のマイクによって録音されており、コンサートホールにいる聴き手の聴覚的パースペクティブとはまったく異なった複数の耳を同時にもつ聴取だと言える。それに対して「ライブ」を志向するのではなく、空間の捏造に積極的に関わるのが「ディスク文化」としてのポピュラー音楽の手法なのである。それを筆者は「ヴァーチャルな次元」を立ち上げることと呼んでいたが、説明としては不十分だろう。なんとでも言えてしまう。

マルチトラック環境において、ステレオ編集を行い、またトラックごとにエフェクトなどを使用するような作業は、「ヴァーチャルな次元」という単一の次元に音をまとめあげていく作業のように見えて、むしろ音がわれわれに提示する空間に裂け目を作り出してしまうような気がするからだ。ためしに1970年代以降のポピュラー音楽のいくつかを、よくよく聴いてみると、エフェクトがかかったりかからなかったりする触覚的な空間の「広さ」と「素材」が異なっていたり、「距離」の差が極端だったり、異なった空間に属す音をちぐはぐに、しかもあたかも自然につなぎ合わせたものであるように感じるものは多い。もちろん、そうした録音はすべての録音物にあてはまるわけではないが、このズレをめぐる操作はディスク文化に属すジャンルにはよく聴かれるのではないかと思う。このあたりをつついていけば、音楽的な分析が無意味あるいは不可能とされてしまうようなポピュラー音楽の分析を、別の観点から(楽器や編集)から論じることが可能になるし、ポピュラー音楽的な快楽のあり方を社会学的な方向からだけではなく、やっと音から論じることができるのではないかと、野心を抱いてみる。が、先は長そうだ。