サウンドシステム

■音響の優位性とレゲエのサウンドシステム
聴覚文化リーダー所収の"Sonic Dominance and the Reggae Sound System Session"を読む。Auditory Culture Readerは聴覚文化に関する教科書的な論文集。サウンドスケープ以降、音楽(music)だけではなく、音(sound)に関わる様々な事象を総合的に考えようとする姿勢が、聴覚文化研究という形で生まれてきた。この論文では、レゲエのサウンドシステムに着目し、音楽的な形式の観点ではなく、ラウド・スピーカーによって聴衆を音響の中に包み込み、聴覚・触覚・視覚の関係をずらしてしまうサウンド(振動としての音波)の実践という観点から論じている。

カルチュラル・スタディーズにおいて、ジャマイカのレゲエは主にディアスポラアイデンティティ形成、伝統の創出から論じられてきた。こうした研究がポストコロニアリズム的な観点において重要であることは言うまでもないが、その論考ではレゲエという音楽が、ハイブリッドの中でどのように差異を作り出したのかということを論じることはなかった。明らかに音という観点が抜け落ちている。彼らがアイデンティティ形成をレゲエによて行うにしろ、それは音によって、また聴取制度の相違によって行っているのである。それに対して本論文は、レゲエのサウンドシステムをもとにサウンドとそれに関わる社会的な制度をレゲエがいかにずらし、構築しているのかということに着目する。
腹に響くほどのヴォリュームの音の「塊」、その中では内と外、主体と客体という視覚中心的なモデルは破綻し、複数の聴き手が音響の中へ同一化していくような経験が立ち現れる。ここでは音の触覚性が問題となる。さらにこうしたサウンドの内の共同性は、サウンドの外(ジャマイカブルジョワ階級)と対比される。サウンドの音量をめぐる実践は、共同性の獲得を身体的な快楽によって行うこと、ハイカルチャーに対抗することに関わっている。ただその際に論じるサウンドシステムについては、ほとんどその音量にしか触れていない。こうした議論ならば、ロックでもクラブミュージックでもできそうなもの。もっとレゲエのリズミックなメロディとかベースとか、ステレオ効果とか、いろいろ突っ込める要素はたくさんあると思う。

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