音楽学会とその後

東洋音楽学会と日本音楽学会の合同例会に行ってきました。

●第233回定例研究会(日本音楽学会関西支部第328回例会との合同例会)


小泉文夫音楽賞受賞記念講演
 クリステル・マルム Krister Malm
 「FOLK/ TRADITIONAL MUSIC AND THE PROTECTION OF INTELLECTUAL PROPERTY:
  A summary of international developments since the 1960s」

博士論文発表
  井手口 彰典(大阪大学
  ネットワーク・ミュージッキング ―― 「参照の時代」の音楽と文化

修士論文発表
  岩田 茉莉江(大阪市立大学
  南大東島サウンドスケープ

担 当:中川 真(大阪市立大学

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■民俗音楽と知的財産権
クリステル・マルム氏が講演すると教えていただき、行ってきました。講演内容は「民俗/伝統音楽と知的財産の保護―1960年代以降の国際的展開の概要」。以下はその概要。大陸法的な著作権は、個人としての作者の創造性を権利的・経済的に保護することを目的に制定されている。そうした著作権は、民俗音楽のように作者を個人に特定することができない実践に適用する際にどうしても無理が生じてしまう。たとえば、民俗音楽のCDを販売する際、著作権はそれを伝承する共同体ではなく、演奏者に帰属させられる。こうした事態に対してマルム氏は、知的財産権を共同体に帰属させ、演奏者やレーベル会社は共同体に対して財産権の使用料を支払うという解決策を提案している。
(クリステル・マルム氏はエーテボリ大学の音楽学教授、スウェーデン王室音楽アカデミー会員、国際伝統音楽学スウェーデン国内委員会会長)

ヨーロッパ近代の作者概念と伝統的民俗音楽の作者概念を二項対立的に設定していたが、そう明瞭に分けられるものなのか疑問に思うところもあった。というのも、伝統的な民俗音楽の実践者は、共同体への帰属意識とともに、オリジナルな「作者」意識を持っていることも少なくないからである。インド音楽ラヴィ・シャンカールはその代表的な例だし、日本の民謡の歌い手も伝統のルールの中で、「私」だけの歌や演奏を実践しているという意識は強い。こうした意識が芽生えたのは、従来の著作権法の中で活動してきたことに原因があるだろうか。ともかく、伝統音楽を過去との同一性の中で考えるのではなく、概念そのものの変容の中で考える必要があるように思った。

■「所有」から「参照」へ
井手口さんの発表は、音楽の「所有」に関するもの。発表者の目的は、winMxwinnyといったファイル交換・共有アプリケーションをもとに音楽受容がCDやレコードのようなモノの「所有」から、データの「参照」へ移行する過程を考察することにある。ただしデジタルデータとなった音楽がすべて「所有」から自由になったというわけではない。聞き手は音楽ファイルをハードディスクに保存し、個人の所有物として管理するからである。しかし、発表者によれば、winMxからwinnyへの移行には大きな変化が見られる。
 winMxは諸々の個人が所有するファイルのリストを提供し、個人間のファイル<交換>を仲介する役割を担う。それに対して、winnyはこのアプリケーションに接続した諸個人のファイルの総体をひとつのリストとして提示するため、ユーザーはあらゆるユーザーとファイルを<共有>することを強いられる。ここで起きているのは、所有ファイルを排他的に保持することが不可能になり、個人がつねにデータベースに連結されるという状況である。発表者によれば、このときユーザーと音楽情報との関係は「所有」ではなく、常に必要な情報をデータベースから「参照」することへ変容しているという。聞き手の欲望は個人の所有リストではなく、リストの総体としてのアーカイヴに向かうことになる。

発表は非常に面白かったが、本当に「所有」と「参照」はこのように二つの異なる体系に分類することができるものなのだろうか。いずれ、ハードディスクに音楽ファイルを保存しなくなる状況が到来するとしても、今はまだそのときではない。winnyのユーザーに何人か出会ったことはあるが、彼らを「参照」的なあり方と断言することはできないように思う。全体のリストを共有することと、個人のコレクションしたファイル・リストに排他的に固執するという矛盾した態度が共存しているのが、現状ではないのだろうか。この聞き手の開き方と閉じ方のバランスを注意深く読み取ることが、未来予想図を描くにしても重要なんじゃないかと思う。

■音で村おこし
 最後は南大東島で行われている音を使った村おこしについての発表。音を手がかりに島の環境を見直し、「故郷愛」を育成しようというプロジェクトに関わっていた発表者の活動の要旨だった。たしかに過疎化は深刻な問題だと思うのだけど、いわば無形文化財のように音を捉え、保存することによって、環境の意味が凝り固まってしまうということはないのだろうか。それによって、「故郷愛」が義務というか重圧になる場合もある気がする。僕の田舎でも和紙漉きの保存を訴えているが、若い人が義務感だけで和紙をやって職を失うということが多々ある。ちょっと話題が重すぎたが、そういう愛の罪もある。これは単なる私的雑感。
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■ビールと泡盛と日本酒
学会のその後はポピュラー音楽学会の人々と飲み会に。民謡を研究している社会学武田俊輔さんに会うことができた。非常にありがたい出会い。引き合わせてくださった先生、どうもありがとうございました。
あの日はご飯を食べずに飲んでばかりいたので、帰り道の記憶があまりありません。