箱の中からやすぎぶし

■妖虫
江戸川乱歩の『妖虫』を読む。古い木箱の中から安来節の歌声が聞こえ、恐怖を煽る。あれほど舞台をにぎわせた安来節が、歌い手の姿が見えないことで恐怖に変わるのはなぜか。乱歩はなぜ安来節を選んだのか。テレビシリーズの方のこれが見たい。

江戸川乱歩の美女シリーズ。ちょくちょくエロいシーンも出て来るそうだ。

■フォノトグラフ
Audible Pastの第一章をざっと読む。グラハム・ベルが開発したフォノトグラフ(phonautograph)についての論文。グラモフォンの発明に向かう単なる一段階として、この装置は今までほとんど注目されることがなかった。しかし、筆者のジョナサン・スターンによれば、この装置には音と聴覚についての概念を大きく変容させ、音の複製に関わる理念を可能にした条件が見て取れるという。

まず、補足としてこの装置について簡単に説明しておこう。1857年、フランスのレオン・スコットがこの装置を発明する(左下の画像)。スコットは、振動板に豚の毛をつけ煤を塗り、音声を紙の上に記録させた。ベルのフォノトグラフはこれと同様の構造を持っているが、振動を伝達する媒体として使われたのは人間の耳だった(右下の画像)。外耳に見立てた受音器に鼓膜(tympanic membrane)と、鼓膜の受け取った振動を伝える針が取り付けられていたのである。

この装置はグラモフォンの発明の中で忘れられた奇怪な実験のひとつというだけではない。「鼓膜(tympanic)」と機械の接近は音の複製技術の発明に関してひとつの示唆をもたらす。それはあらゆる音響装置が「鼓膜」を構造に組み込んでいるということである。18世紀から19世紀の耳の生理学において最も大きな変化は、「鼓膜」概念において生じた。「鼓膜」は体の中の特定の部位を示すだけでなく、特定の振動(可聴閾に属す振動)を伝達する機構へと移行する。耳科学(otology)や生理学において、音は振動のひとつととらえられ、耳は振動を受け取り、内耳に伝達し、電気信号として神経に伝達する変換器(transducer)としてとらえられるようになる。スターンによれば、この伝達・変換器としての「鼓膜」概念はすべての音響機器に組み込まれている。あらゆる複製技術は音としてとらえられる振動を他の何らかの情報に(レコードの溝に、電気信号に、デジタル信号に)変換する鼓膜的な装置だからである。音の複製技術は聴覚のモードを変容させたと言われてきたが、その発明の前提にはすでに聴覚という概念自体の変容(音響装置としての鼓膜の発見)を含んでいたのである。

この論文を読んで急に思い出したが、フォノグラフィ(phonography)=速記(stenographyというのが一般的らしい)。耳から手、ペンから紙へ、可能な限りの同時性をもって情報を記録することを求める技術として、どことなくグラモフォン(受音器・染筆・シリンダー)と類似している。それらの間にはスターンの言うような「鼓膜」と振動の発見という大きな相違があるわけだが、記録装置として身体をとらえる技術として再考する必要があるように思う。

明治期の日本では何らかの典拠となるテクストのある落語の上演を速記で記録して流通させるというのが流行ったようだが、そのとき新聞などで流通する速記はレコードとは異なる音声のリアルな表象だったのかもしれない。なぜ誰かの落語上演を速記で記録し、文字として読んだのか(落語速記を掲載していない新聞は二流とされる時期もあったようだ)。「言文一致」との関係の中でとらえられることが多い速記だが、広く聴覚文化の問題として扱ったら面白い気がする。