臭い物には蓋をしろ

yasuhamu2007-06-19

■機械自慢
ずっと狙っていたRoland RE-150が安くなっていたので購入。小さい頃、カラオケセットに組み込んであったのを見た覚えがある。

電子楽器・電気楽器・エフェクター・音響機器を総称して、楽器ではなく機材という呼称を使う人も増えていますが、おそらく20世紀後半の音楽では楽器概念を再考する必要がある。ポピュラー音楽研究ではまだ、つまみ音楽論を見たことがないけれど、これはロックギタリスト、ドラマーの身体性と並んで1980年代以降のポピュラーミュージックの議論には欠かせないのではないか。特にテクノな人たちは気持ち悪いくらいにつまみに欲望を抱き、音からもつまみを聴き取るのです。最近、京大の学部生でラップトップでの音楽ライブについて研究している人に会ったが、是非つまみについて論じて欲しい。

その後、id:taninenさんのコメントを読んで気付きましたが、たしか楽器概念の変化については『音楽未来形』にも書いてあったように思います。最近は音について論じるものが少ないので、僕もこういう議論をもっと活発化させていきたいと考えています。打ち込み円盤回しを好んでいた身として機材という呼称に関心があったので、楽器論文は非常に楽しみです。僕も大正期の楽器についてぼちぼち調べているので、早いうちに形にできたらと思います。

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ


■音の監視
聴覚文化研究の序文に載っていた。音の監視のひとつとして、ベビー・モニターというのがあるらしい。子どもの呼吸音と声を無線でいつでも聞くことができる他、話しかけることもできる。さらにベッドの下に敷いたセンサーで動きも確認することができる。20秒呼吸が止まるとアラームが鳴る仕組みになっている。監視されていることを子どもが意識するわけでもないのでネガティブではないが、音の監視システムが日常に浸透している一例。そして序文には載るけれども、聴覚文化研究では論じられることがないものの一例。

■ゼミに向けて
ゼミ発表は論文紹介の予定だったが、急に聴覚文化研究の射程と問題について紹介する発表をしたくなったので、路線変更。The Auditory Culture Readerの序文などを読み直し、その文のつながらなさに混乱する。この混乱こそが今の聴覚文化研究というものの混乱そのものなのだろう。つながらないのにつなげてしまう、隙間を埋めるための議論のはずが隙間を残したまま蓋してしまう。臭い物を嗅ぐ作業。常にすべき作業だと痛感した。

増田先生の『聴衆をつくる』の第一章「聴衆の生産」がカルチュラル・スタディーズ以後を考える参考になった。目標は夏までにウェブにあげること。研究室のも自分のもホームページをビルドしたい。

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法