やっぱり帰れなかった

■オムレツになりかけた
昨日はオムレツ大会。なかなか盛り上がったが(特に金曜日のテンションを引き継いでいた自分が)、議論の方向性をもう少し決めておいた方が良かったように思う。おかげで飲み会はもっと盛り上がり、さらに盛り上がり、西宮で終電を逃し、タクシーに乗り(一人1000円くらいで済んだのが驚き)、阪急御影で降ろしてくださいと行ったのに阪急六甲に行ってしまい、運転手さんは24時間勤務だというのを聞いたので仕方ないかと諦め、学校に泊まり、今に至る。それは良いとして、オムレツ議論は定期的にやりましょう。議論の結果はウェブ上にあげる予定です。

帰れないのは京都だからと思っていたのは間違っていた。僕らはどこに行っても帰れないみたいです。

■本
[rakuten:book:11136577:detail]

幕末から昭和にかけての日本の洋楽受容と学校教育をまとめたもの。その資料収集と整理の労苦は脱帽もの。遺言は相変わらずよく分からない。

佐藤先生に教えていただいた文学研究入門書。『ドラキュラ』と19世紀末の聴覚文化(声・文字・録音複製・速記)の問題は参考になりました。なんとか形になりそうです。ありがとうございました。

なんとなくの展望ですが・・・
印刷出版(文字テクスト・イメージ)の氾濫が生じた結果、視覚中心主義に対する反感の結果として声・音が賞揚され、速記やフォノトグラフ=声や音を2次元に記述する技術が着目された。面白いのは、視覚に対する反省の結果、視覚的な音声の記録が発展したという点ではないかと思う。視覚と聴覚が切り離されて考察され、相互の交通が成立するコードが速記などによって成立する。最近集めていた日本の速記の資料や論文では、そのダイナミクスを明らかにするのは難しいので、言説が明確なイギリスとアメリカのものを集めることにする。大変そうだ・・・。あと、「記述する」という技術から生まれたフォノグラフと速記との関係をどう論じるのかという問題も山場になりそうだ。