彼らのために聞く機械

昨日は聴覚文化読書会だった。読書会の後は大阪第1ビル地下一階の「湯浅港」へ。和歌山から毎日運ばれる鮮魚が自慢のお店、うまいし、安いし、最高だった。大阪であんなに新鮮な魚を食べられる店はなかなかないと思う。

■彼らのために聞く機械〜前回のメモ
『聞こえる過去』の第一章は、フォノトグラフという装置をもとに、録音複製技術を音の視覚化という観点から考察する。本章におけるスターンの目的はそれが引き起こした結果のみが強調されてしまう現在的な音響複製技術に関する語りを反省し、逆に複製技術が出現に至った原因と過程から考察することにある。どのような欲望の具体化としてそれが生じたの、それが本章で明らかにする点である。

音響複製技術は当初、口をモデルにしていた。言葉を話す自動人形は18世紀以降、盛んに作られた(フェイバーの自動人形が有名)。グラハム・ベルが1874年に製作したフォノトグラフ(音の振動を波形として記述する記録装置)は第一に、口をモデルとした複製技術から耳をモデルにした複製技術への転換として論じられる。この装置は19世紀の音響物理学において振動の一種として音が発見されたこと(ヘルムホルツ、クラドニなど)、解剖学・医学において鼓膜が振動を伝達する機構として発見されたこと、そうした諸々の科学的な展開が交差する地点に見出される。
 
フォノトグラフという機械はすでにレオン・スコットが1857年に製作していたが、グラハム・ベルの装置が異質なのは、それが死体から摘出された人間の中耳を利用している点である。スコットは音を<記述する>ことを目的としてフォノトグラフを製作し、普遍的な自然言語(natural language)を理解する方法としてフォノトグラフを捉えた。その一方で、ベルは耳の聞こえない人の代わりに機械が<聞く>ことを目的としてフォノトグラフを製作したのである。フォノトグラフは音を何らかの記号として記録するだけでなく、聴覚の作用を模倣することによって、難聴や聾を補償する装置として出現したのである。この機械がおこなった鼓膜のモデル化は、結果として後の音響複製技術のすべてに用いられているダイヤフラムの基礎になった。音響複製技術は何らかの音を反復することではなく、聴覚を代替するという欲望から生じたのである。

■関連論文
音の視覚化に関する論

Instruments and the Imagination

Instruments and the Imagination

目次
List of Illustrations
Acknowledgments
Ch. 1 Instruments and Images: Subjects for the Historiography of Science
Ch. 2 Athanasius Kircher's Sunflower Clock
Ch. 3 The Magic Lantern and the Art of Demonstration
Ch. 4 The Ocular Harpsichord of Louis-Bertrand Castel; or, The Instrument That Wasn't
Ch. 5 The Aeolian Harp and the Romantic Quest of Nature
Ch. 6 Science since Babel: Graphs, Automatic Recording Devices, and the Universal Language of Instruments
Ch. 7 The Giant Eyes of Science: The Stereoscope and Photographic Depiction in the Nineteenth Century
Ch. 8 Vox Mechanica: The History of Speaking Machines
Ch. 9 Conclusion
Notes
Bibliography
Index

第6章と第8章を取り寄せる。第8章は喋る機械についての論文。そういえば、グラハム・ベルはフォノトグラフの製作以前、発音のモデル化のためにスピーチ・マシンを兄と製作したが、兄のメルはその後、降霊術にはまり、スピーチ・マシンに降霊させて喋らせようとしていたらしい。弟は科学に、兄は魔術に、良い兄弟だ。