文芸学研究会

□研究会
昨日は文芸学研究会。準備・片づけを手伝ってくださった方々、発表者の方々、お疲れ様でした。最後にSECOMにドキドキしながら無事完了。

昨日は発表三本。最初の一本は講義のような発表だった。発表時間を勘違いしていたらしい。一番の問題は、質問者の方がおっしゃったように科学の実証性を哲学的な認識論への解答とすり替えてしまったことにあったのではないかと思う。

南出みゆき「フランス時代の中村不折
二番目は書作品「龍眠帖」に関する研究発表。中村不折はフランス留学前の画家時代、留学後の書家時代に区分され、研究されてきた。それに対し、発表者は留学中の中村不折に注目することで、そのふたつの時代の切断面をつなげ、書作品「龍眠帖」を絵画からの影響の中で解釈することを試みる。
ただ、まだ線に関する具体的な分析には至っておらず、文字の線と人体を模写するデッサンの線との相互関係がどのように生じたのか、ものすごく気になるところで発表が終わってしまった。欲求不満。

増田展大「新聞・雑誌上に載る写真−−20世紀初頭の写真雑誌についての一考察」
 三番目はタイトルとは異なるが、19世紀後期の挿絵入り雑誌から写真雑誌への移行期について考察する発表だった。発表者は、主観的・演出的な挿絵から客観的・記録的な写真へという発展的な写真史の言説を再考するために、移行期の雑誌に注目する。
 発表者が指摘するように、19世紀末の雑誌には、挿絵・写真をトレースして挿絵にしたもの・写真という複数の表象モードが混在していた。さらに、そうした重なりは絵葉書やモルグといった雑誌の外のメディアとの間にも見出すことができる。報道を目的とした雑誌において、リアリズムあるいは迫真性は、そうした重層において複雑に構成されていたのである。
 そこまでの議論は興味深かったが、結局は写真のリアリティが挿絵を駆逐していったという風に聞こえた(聞き間違いかもしれない)。20世紀の写真雑誌にはこうした重なり合いを見出すことができないのかがすごく気になった。