■DVD
夏の集中講義でお会いした先生から、Johan van der Keuken監督のBRASS UNBOUNDをいただいた。植民地化されていた地域で生まれたブラスバンドを取材したドキュメンタリー作品で、歴史的なコンテクストやそれに対する住民の考えも幅広く収録している。授業の時に紹介していただいたのは、オランダ植民地だったインドネシアブラスバンドだった。支配するもの、抑圧されたものという単純な図式にはおさまらないアンヴィバレントな要素(竹やブリキで作った管楽器、キリスト教、「文明」崇拝・・・)が、複雑なまま提示されていて面白い。

■論文
Rosalind Krauss"Welcome to the Cultural Revolution"を読む。研究会で使おうかと思ったが、訳しにくい・・・。しかし、イメージと主体との鏡像的な関係を全体とするカルチュラル・スタディーズを、ラカン理論の誤読とするクラウスの議論は非常に参考になりそうだ。

そもそも、読もうと思ったのは・・・
主体の同一性をめぐる文化研究的な視座は、それを形成するものを制度的なもの・社会的なものに求めつつ、様々な視覚・聴覚イメージを分析するが、それらの分析は最初から透明な記号を前提としており、その議論自体が同一性の枠組みを閉域として作り出しているのではないかという疑念が常にあった。その閉域を考慮に入れるならば、「抑圧」についての議論も、「抵抗」についての議論も、表裏の関係にあるに過ぎない(このことが、アドルノフェティシズム批判への批判がポピュラー音楽研究において正確に行われていないことの理由でもあると思う)。主体と対象との透明な関係、距離の喪失、そうしたものが視聴覚文化の全体を形成しているのかどうか、イメージに他者性を認めることはできるのか、もっと考える必要があるのではないか。

と思うものの、ラカン精神分析理論という大岩に躓くのだった。最初から読み直そう・・・。伏し目のラカンの章ももう一度、読み直そう・・・。

また気になるのは、聴覚イメージについても、同様のことが言えるのかどうか。キットラーはグラモフォンをリアルなものとしているし。これも読み直そう・・・。