研究会のお知らせ

来週の日曜日3月8日午後2時より、視聴覚文化研究会/芸術学研究会の研究発表会を開催いたします。今回のテーマは「カント感性論の現在形」です。これまでの研究発表会では、メディア(メディア間)あるいは視覚文化・聴覚文化・視聴覚文化のように諸感覚(諸感覚の関係)をめぐる制度に着目して現代の感性的経験の諸問題を議論してきましたが、今回はより原理的なカント理論の観点からこの問題について検討いたします。研究会情報はHPにも掲載しておりますのでご参照ください。(HPリンク

「カント感性論の現在形」

* 日時:3月8日 14:00〜17:00
* 場所:神戸大学視聴覚教室(C152)
* コメンテーター:中川克志(京都大学非常勤講師)
* オブザーバー:長野順子神戸大学

心身問題から感性論へ―不惑のカント―
杉山卓史(京都市立芸術大学非常勤講師)

「人間はモノに還元できるか?」――生きた人間の脳内で何が起こっているのかを次々に明らかにしつつある脳神経科学の近年の発展は、哲学にこの問いを突きつけている。伝統的な「心身問題」が「心脳問題」として新たに重要性を帯びてきているのである。その際にしばしば参照されるのが、「自由」をめぐるカントの第三アンチノミー論である。『純粋理性批判』において、彼は「世界は自然法則によって説明しつくせる。自由は存在しない」と「世界は自然法則によっては説明しつくせない。自由が存在する」という二つの相矛盾する命題が共に成立してしまうことを明らかにした。すなわち、「人間はモノに還元できるか?」という問いを、理性は肯定も否定もできてしまう――ということは、肯定も否定もできないのであって、まさにこの点に理性の限界が存する。

こうしたカントの二世紀以上も前の主張から、現代の哲学(特に「心の哲学」)はどれほど前進しえたのだろうか。きわめて疑わしく思われるのだが、本発表で問題としたいのはそのこと自体ではなく――なぜなら、発表者は「心の哲学」の専門家ではないのだから――、こうした主張にカントが至ったプロセスである。実は、その奥底に「感性論」の問題が存しているのである。結論だけを叙述した『純粋理性批判』には隠されているこのプロセスを、批判哲学成立前夜の著作群を手がかりに再構成するのが、本発表の目標である。

カント美学における可能性とカント美学の可能性
―可能的なものを肯定する感性論としてのカント美学―

伊藤政志(近畿大学医学部非常勤講師)

カント研究は―おそらくかつてないほどに―時代状況に無頓着でいられなくなっている。しかし、美、形式、天才、快、自律、普遍的妥当性など、カントが取り組んだ近代美学の基礎概念は、現代アートやメディア文化の分析にはほとんど通用しない。もはやカント美学のアクチュアリティーへの問いさえもアクチュアルとはいえなくなっている。

こうした現況を踏まえるならば、現今のカント美学研究において必要であるのは、近代美学が読み落としてきたカント美学から、これまでのカント美学(近代美学の基礎としてのカント美学)を解体構築していく作業であるように思われる。アクチュアリティーへの問いは、当然ながら、ポテンシャリティーの再検討へと至る。近年隆盛している文化研究もまた、こうした方向性に基づいて、優れた成果を挙げている。しかし、本発表では、「可能性」という様相概念を念頭に置き、カントのテキストからカント美学研究の新たな文法、可能的なものを媒介とする感性論としてカント美学のポテンシャリティーを提示することにしたい。