聴衆の生産

Victor Talking Machine Companyが出版していた本を集める。

The Victrola Book of the Opera: Stories of the Operas

The Victrola Book of the Opera: Stories of the Operas

What We Hear in Music: A Course of Study in Music Appreciation and History

What We Hear in Music: A Course of Study in Music Appreciation and History

Music Appreciation: For Little Children in the Home, Kindergarten, and Primary Schools

Music Appreciation: For Little Children in the Home, Kindergarten, and Primary Schools

先日も書いたように、初期のVictorはオペラ・レコードのシリーズなど「ハイ・クラスな」音楽による文化的な統合(階級だけでなく、増加を続けていた移民も)を標榜していたことから、近年ではしばしば批判の対象となっている(レコード産業が終わりを迎えたせいか、2000年あたりからこういう研究がだんだん増えている)。しかし、こうした研究が見落としがちなのは、こうしたプロジェクトはVictorにはじまったものではなく、それ以前の楽譜出版や自動ピアノの販売でも行われていたということだ。もちろん、先行研究の中にはそれら従来の家庭内メディアのコンテクストと蓄音機の接合のプロセスをVictorに見出しているものもある(Jessica Foy"The Home Set to Music"など)が、どちらにせよ、これらの研究は社会的な緊張関係と音楽によるその解消のプロセス(ほんとうに成功したのかどうかは分からないが)に注目するあまり、蓄音機とほかの再生メディアの差異を解消してしまっているように思われる。

当然、Victorは他のメディアとの差異を意識していたし、多数の著作によってそれを明確化していもいた。その中心となっていたのが「音楽鑑賞music appreciation」のようだ。Victorの著作では、蓄音機はアマチュアの技能を越えた音楽の鑑賞を可能にするだけでなく、適切な聴取態度の習得に役立つものとして説明されている。(もちろん、アマチュアとプロフェッショナルの相違は蓄音機以後に先鋭化されたものである。多くの人はプロの演奏を聞いたことがなかったのだから。)Victorと関係があったのかはまだ分からないが、1910年代にはThe National Association for Music Educationも、蓄音機を用いた音楽鑑賞の教育を推進していたようだ。これらの運動がどれほどの効果があったのか分からないが、音楽行為そのものの転換が試みられていたことは確かである。しばらくは、この演奏と聴取の専門分化によって、初期の音楽産業がレコードの聴衆をどのように生産していたのかを考えてみる。