演歌

論文要旨を作ったものの、今度は研究計画書を書かないといけない。過去と未来の間でタコ殴りにされる。

安来節研究をやっていて一番困ったのが、送り手と受け手をどこまで分けて考えるか。文化人類学で「文化の客体化」(太田好信)を論じるときには、たいてい外部の眼差しの内面化として地方的なものを分析するけれど、単純な反映論になってしまう可能性もある。

トランスポジションの思想―文化人類学の再想像 (SEKAISHISO SEMINAR)

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その逆に地方側の戦略を強調するのも問題がある。(広告研究をしていた後輩の悩みが分かった1年だった)あまり一方向的にならないように、ひとつの運動として論じたかったが、どうだろう。 

次の対象として、民謡の流れを引き継いで演歌を論じようかと考える。ポピュラーミュージック研究では対象とされず、しかし、日本のポピュラーミュージックを通奏低音のように流れているもの、ポピュラーでもフォークでもあるもの、場所を記述するもの。いろいろなレベルで論じがいがあるのではないかと思う。「北上する演歌」とか

文献を調べてみる。
哀しみは日本人 演歌民族論detail サンバの国に演歌は流れる―音楽にみる日系ブラジル移民史 (中公新書)detail
「演歌」のススメ (文春新書)detail 歌謡曲の構造 (平凡社ライブラリー)detail
近代歌謡の軌跡 (日本史リブレット)detail 「はやり歌」の考古学―開国から戦後復興まで (文春新書)detail
意外にも、というかなんなのか、演歌を論じたものは少ない。どれもものものしいタイトルだなあ。どうしたものか。図書館にかりに行くが、罰則がついていてしばらくはダメとのこと。悲しい。

そういえば演歌の女王って面白いのだろうか